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連載vol.1 ヴィーガンとプラントベースの境界線

連載vol.1 ヴィーガンとプラントベースの境界線

カレー・スパイス偏愛者 タケナカリーさんの新連載「エシカルと食の、揺れ。」

菜食主義のことを「ヴィーガン(vegan)」と呼びます。この呼び方が定着してきたように思いますが、最近では「プラントベース(plantbased)」とも呼ぶようになりました。

数年前までは「ベジタリアン(Vegetarian)」だけだったのに、なんでこんなに変わったり増えたりするのだろう?そんな疑問を持っている人も多いのではないでしょうか。

この変化には「エシカル(ethical)」という概念が密接に関わっています。和訳すると「倫理的・道徳上の」という形容詞になりますが、正直、これだけだとピンときません。それに言葉は時代によって変化します。SDGsが叫ばれる現在はもう少し広義の意味がありそうです。

そこで改めてChatGPT(ver.4o)に聞いてみました。回答は以下の通りです。

「エシカル(ethical)」の日本語の意味は「倫理的」です。倫理的とは、道徳や倫理に従って行動することを指します。具体的には、個人や組織が正しいとされる行動規範や価値観に基づいて行動することを意味します。

どうやら現在の意味としては道徳・倫理を指針にした「行動」までがセットになっているようです。
それでは、菜食主義の話に戻りましょう。
この「行動」を「食べる」に変換すると、菜食主義をどう呼ぶかの移り変わりが見えてきます。

まず、ベジタリアンからの紐解き


南インドのベジミールス。ヨーグルトも使うがココナッツミルクしか使わないメニューにすればヴィーガンでも問題なし。

ベジタリアンとは宗教や歴史的背景から来ている菜食主義の総称で、実際はもっと細かく分類されます。歴史も長く、直接的には19世紀のイギリスに生まれた言葉ですが、そのルーツは古代ギリシャにまで遡ります。個人的には現代なら「菜食志向」くらいに訳した方が正しいように思いますが、代表的なものだけ列記します。

■ラクト・ベジタリアン
肉、魚、卵を食べないが、植物性食品、チーズやヨーグルトを含む乳製品を食べるベジタリアン。ラクトはラテン語で「乳」という意味です。僕の大好きなカレーの国インドに多い人達です。

■ラクト・オボベジタリアン
肉、魚は食べないが、植物性食品、チーズやヨーグルトを含む乳製品に加え、卵を食べるベジタリアン。オボはラテン語で「卵」の意味です。

■ペスカタリアン
肉は食べないが、植物性食品、チーズやヨーグルトを含む乳製品、卵、加えて魚を食べる食習慣の人達です。どちらかと言うと好みとして肉が苦手というニュアンスが強いように思います。ベジタリアンからは遠いですね。

■フレキシタリアン
肉、魚、卵、乳製品の動物性食品を食べることもあるが、基本的には植物性食品を主とした食習慣の人々。厳密に何かを決めているわけではない。こういう人は意外と身近にいるんじゃないでしょうか。

はい、ここで「ヴィーガンとプラントベース」です。実はこの2つもベジタリアンのカテゴリとして属します。上記のここまでの分類は僕のまわりの実践者から聞いた話や参考に基づいたものでしたが、この2つに関しては個人としての捉え方を増量してお伝えします。

■ヴィーガン
肉、魚、卵、乳製品、蜂蜜を含む動物性食品全般を食べないベジタリアンで、ピュアベジタリアンとも言われます。基本的には倫理的観点で動物搾取からの解放、環境破壊の抑止を信条としている人達。食だけでなく毛皮などのアニマルウェアも忌避します。すごくストイック。

■プラントベース
ほぼフレキシタリアンだが、もっと健康を目的としたイメージから発生。特徴は、ゆるさ。週に一回だけでも植物性食品だけの食事を設定していれば該当する。近年はさらに環境問題を考える選択としての意味合いが重なっている。でも、やっぱりゆるさは保持。ちなみに、ゆるい、は適当な英語が無いそうです。

このヴィーガンとプラントベースの分岐には、エシカルにあった「行動=食べる」の意識の違いがあります。それはストイックとゆるさです。

ここを少し強引にまとめると、ヴィーガンがその思想から目立つようになり、ヴィーガン自体の印象が世間的に重くなってしまった、すると、自分はもっと楽しく健やかに菜食を選択したいのに、ヴィーガンの強くラジカルな姿勢についていけなくなっちゃった、という一定層が現れた。その層が、プラントベースを築きあげる。さらに、そこに待ったなしの温暖化・環境問題がのしかかり、ここもまた同じように思想強めは嫌だけど、地球のためになる選択はしたいな、という層が重なった、それが今のプラントベースだと思います。

そう理解した上で、エシカルと食の関係について戻ります。

エシカルと食


めちゃくちゃ山盛りコッテリ中華に見えるけど、これもvegan仕様。

エシカルとは道徳・倫理に従って行動することでした。このまま受け取ると、みんなで守る正義みたいな印象を受けます。でも、この道徳・倫理というのは実はとてもあやふやなものです。なぜなら、簡単に人・環境・時代で変わってしまうからです。

宗教や年齢の差で男女の扱いや同性婚の考え方は違いますし、日本で戦時中は赤紙(召集令状)が届くと「おめでとうございます」と言うのが道徳的でした。

だから、エシカルもその本質はあやふやで、個人的なものなのです。少なくとも絶対的なものではない。

ただ、だからといって、諦めてはいけません。そのあやふやさを信じたからこそ、紡がれた平和を僕たちは知っています。

ヴィーガンとプラントベースの分岐もあやふやなものに名前をつけるように生まれたはずです。プラントベースは、ヴィーガンのストイックさよりも、ゆるさを選んだ。そこには、ゆるい方が結果みんな幸せじゃないか、というあやふやな倫理・道徳があった。

僕は、このあやふやに、寛容でありたいと思います。

だから、エシカルと食は、もっと揺れるべきです。
食べることで何かを良くしようと思うのであれば、そこに揺れがあってもいい。
結果、わかりあえないかもしれないが、それは、そういうもんだとする。そんな姿勢が今、問われているように感じます。

僕自身はわざと菜食だけの食事も摂るのでプラントベースに該当します。理由はここ最近の日本の自然災害って、やっぱり環境破壊が起因しているよなと思うようになったからです。観測史上最大の降雨量って、一体何年続いているんでしょう。

でも、使命感みたいなものもありますが、どちらかと言うとその制限を面白がっている自分がいます。今日はスーパーで訳あり品になっていたアスパラとハーブのディルを安く手に入れたので、北欧風のサラダにしようかと思ったのですが、廃棄寸前の〆鯖も目に止まってしまいました。頭の中で冷製のフィッシュカレーを作ったら面白そうじゃない?とスパイス料理研究家の僕が囁きます。

結局、菜食じゃないけど、フードロスだ!とそんなカレーを作ってしまうのでした。楽しいです。そして、これもエシカルです。

長くなりましたが、このコラムのテーマは「エシカルと食の、揺れ」です。菜食の重要性を認めた上で、菜食の選択肢だけではない、たくさんの未来につながる食のいい揺れを皆さんと考えていきたいと思います。

PROFILE

タケナカリー

CHANCE THE CURRY代表。カレーやスパイスに関わる執筆、 レシピ開発、商品企画、イベントプロデュースなどを手がける。 Podcast「カレー三兄弟のもぐもぐ自由研究」配信中。著書にSFカレーファンタジー「少し不思議なカレーの物語」(鴎来堂)がある。好きな概念はカレー。

https://www.instagram.com/takenacurry

都築千佳

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