連載vol.5 エシカルな「食」にあるべきシズル感って何?
2024.11.08
先日、世田谷美術館で開催されていた「アートディレクターの仕事 大貫卓也と花森安治」の企画展に行ってきました。花森さんは「暮らしの手帳」を立ち上げた方です。創刊からの軌跡が展示されていたのですが、自分の思っていたイメージとは真逆のラジカルな姿勢に、ちょっと涙してしまいました。戦争を生き抜くことと、暮らしを良くすることが繋がっていた時代、すごい。
大貫さんのコミカルな広告作品も圧巻でした。としまえん「プール、冷えてます」、日清食品の「Hungry?」、ペプシマンなどなど今見ても色褪せず面白い。 直接お会いしたことはないですが、二十代の頃に大貫さんが担当されていた資生堂商品の戦略会議に参加させてもらったことがあり、こういう考え方でブランドは作られていくのかと感動したのを今でも覚えています。
大貫さんは著書の中で「広告を成功させるための7つのハードル」というお話を書かれています。本稿の本筋ではないので全ては書きませんが、そのうちの一つに「シズル感があること」を上げてらっしゃいました。
シズルとは、理屈抜きで五感で感じて購買意欲を掻き立てる広告表現です。英語の「SIZZLE」が由来で、肉が焼けて油がしたたり鉄板に落ちてジュージューと音がする美味しそうな様子のことを指します。
*焼き鳥はシズル感が出やすい。ロジックは後半に。
つまり、直感的に「美味しそう」や「冷たそう」や「つやつや」がわかる、そうすると「買いたい」につながる、ということなんですが、これはエシカルと食の観点で非常に重要だなと改めて思いました。
前回の記事でエシカルな料理は「美味しい」がエシカルよりも先に来ないと継続しないと書きました。シズル感をつくるということは、この観念に薪をくべるということです。倫理的にロジカルに訴えてしまいそうなところを、一目で悶えるような「美味しそう...... 」にもっていく。
ただ、エシカルな料理というのは、動物性食材を控え、植物性食材を主役にすることが殆どです。そこで美味しく見せるというのは難易度が高そう。でも、いろいろと考えているうちに、そもそもシズル感自体が変化するのではないか?と気づきました。
時代と共にシズルも変化する
例えばプリンです。僕は四十代ですが、少年時代のプリンのシズル感は、艶っぽい「ぷるるん」でした。各社がコンビニ販売での競争を始めたころだと思うのですが、時代はそこから溶けるような舌触りを求めるようになり「とろとろ」へ。そして、現在は僕の世代よりも前に流行っていたプリンが市民権を得てシズルは「固め」の方向に向いています。
*プリンのシズル感の変遷。現代は「固め」が強くなってきているように感じる。
ここに昭和カルチャーのリバイバルが関係しているのは間違いありません。昭和レトロなんて呼ばれたりもしますね。例えば、シティ・ポップ、写ルンです、そして、純喫茶です。純喫茶ブームからの文脈が固めプリンのシズルを作り出した、そう思います。純喫茶ブームが食に与えた影響は強く、プリンの他にもナポリタンやメロンソーダに再び注目が集まりました。
それにしても、なぜ昭和的なものがここまで注目されることになったのでしょう?
ここは「エモい」という言葉の広がりから説明がつくような気がします。「エモい」は、もはや常套句にもなりつつありますがエモーショナルを語源にもつ形容詞です。感傷的、哀愁的、郷愁的といった意味があり、もうちょっと砕くと、なんとも言えねぇ切なさ、です。しみじみと味わう、も近い。
エモいが普及したポイントですが、これは時間をかけるってことが贅沢なことになってしまったからだと思うんですね。エモいには、一部の音楽の例外を除いて「速い」という感性が付帯することがありません。「ゆっくり」と、しみじみ感じとるものなのです。この「ゆっくり」が大事。
現代はデジタル化が進み、どうしても変化していくことが求められてしまう時代です。僕達はその加速についていくのに精一杯で、人間の身体ってこのスピードに耐えられるんだっけ?くらいの毎日を生きています。だからこそ、変化のスピードの中で、人はみなどこかで「ゆっくり」したいのではないでしょうか。エモいが歓迎された背景はここにあると思います。
*「エモい チルい」というプロンプトによるAI生成結果は完全に「エモい チリい」であった。
ちなみに、エモいに近い言葉で「チル」「チルってる」という言葉があります。語源は「Chill out(チルアウト)」で、くつろぐ、まったりする、落ち着く、のんびりする、といった意味で使われます。クラブミュージックから浸透してきました。ゆったりとした漂う空間の波と一体になるような、気持ち良い感覚。やはり、ここでもポイントは「ゆっくり」ですね。
話がそれましたが、まとめるとスピードを求める環境の変化が、エモいを歓迎し、昭和レトロブームに拍車をかけ、純喫茶メニューが注目され、プリンのシズル感は「固め」になってきた、とそういうことだと思います。時代でシズルが変わるという例でした。
エシカルなシズル感ってなんだろう?
では、核心ですが現代にフィットするエシカルな料理のシズル感って、どのように表現すればいいのでしょうか?正直、クリティカルな答えは出ませんが「ゆっくり」の価値は世代を超えて老若男女問わず広がっています。大衆酒場や、町中華へのスポットライトはその証左でしょう。「食」の流れはクラシックに向いているのが今。その上で、こういう時のクリエイティブは不正解を見つけていった方がいいです。
まず、代替肉で考えてみます。日本で一番やっちゃいけないのは、ハンバーガーにして「最新技術!まるで肉!」みたいに見せちゃうケース。
*こんなの。既に「一回食べたら、もういいかな」って思う感じがしませんか?
これはとにかく違う、ひたすら違います。新進気鋭な感じはいらないし、そもそも、日本人はそんなにハンバーガーを食べません。食べたら「いや肉じゃないっしょ」ってことの方が多いし。嘘はついちゃいけません。
これなら代替肉を使った、あつあつほくほくの肉じゃがの写真素材を作って「肉より染み込む」とかコピーをつける方がいいんじゃないでしょうか。日本人にはクラシックな肉じゃがです。
他には直球の野菜料理。野菜や果物の素材だけであれば、圧倒的にフレッシュさを全面的に出していきたいですが、野菜料理となると勝手が違います。どことなくイノベーティブ料理のような方向にいってしまうことがありますね。たしかに料理にアート性はあるのだけど、鑑賞する上での美しいはレストランでするものであって、「おお......美味そうだ」と思える訴求は、日常に近い美味しい(=クラシック)だと思います。
これはイベント出店で仲良くなった干物屋さんに教えてもらったのですが「人は匂いと、音と、煙に集まってくる」そうです。目から鱗でした。
*とうもろこしに醤油を塗って焼く。干物屋さんが言っていたシズル感がありますね。
干物屋さんの話を参考にするとシズル構成要素は、焦げ、湯気、そして、油だと思います。特に野菜は、焦げ、湯気を味方にできない場合は、油の使い方がポイントです。人間の身体は脂質を欲するので大事。これは油そのものを使うってことじゃなくて、サラダだったら、ドレッシングやマヨネーズでどう美味しそうに見せるか、そんなイメージです。
さて、いかがでしたでしょうか。まとめると、エシカルなシズル感にも焦げ、湯気、油が必要で、そこにクラシックな要素を足すのが今ではないか、というお話でした。この辺りの試行錯誤が新しいシズルを生むのだと期待したいです。
タケナカリー 連載「エシカルと食の、揺れ。」
PROFILE
タケナカリー(竹中 直己)
CHANCE THE CURRY代表。カレーやスパイスに関わる執筆、 レシピ開発、商品企画、イベントプロデュースなどを手がける。 Podcast「カレー三兄弟のもぐもぐ自由研究」配信中。著書にSFカレーファンタジー「少し不思議なカレーの物語」(鴎来堂)がある。好きな概念はカレー。
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